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県内の代表的な橋

1.まえがき

 終戦までの宮崎県では木材生産県として木橋が主流であったが、大型台風や洪水などで多くの橋が流出していたようである。財政力のない宮崎県は、流出した橋を直ちに永久橋に架け替えることはできずに、流心部が永久橋で、他は木橋という混合橋も珍しくはなかった。終戦直後の国土復旧の最中には、資材、労力ともに不足しているなかで、当時としては世界で2番目の連続直弦綱ワーレントラス(小丸大橋)を旧新田原基地の格納庫廃材を使用して建設している。

 宮崎県の本格的な橋建設は、昭和27年の道路法改正や昭和29年の「第1次道路5ヶ年計画」の制定からで、昭和63年にはすべての橋が永久橋となった。この間、道路橋・歩道橋を含めて、当時の技術やスケールの面で著名な橋が多数建設されている。ここでは、それらの一端の橋を紹介する。

2.橋の形態のあらまし

 橋には様々な形態がある。宮崎県の橋を紹介するまえに、代表的な形態を簡単に説明しよう。

トラス橋は細い部材を3角形に組み合わせたものである。図-2のように、3本の棒の両端(○の箇所)に蝶番をつけて結合したとしよう。頂点Aにどの方向の力をかけても全体はほとんど変形しない。最も少ない細い棒の組み合わせで安定な橋を造るには、3角形が合理的な棒の組み合わせ形状といえる。トラス橋はこのような考え方からできている。

  アーチ橋はローマ時代の石橋からも知られるように古い歴史をもつもので、宮崎県の西臼杵地区には、アーチ部分がコンクリートであったり、細い鋼材のトラスからなるものが数多くある。また、それらの多くは長大橋となっている。

 吊橋は本四連絡橋などの最大橋に多く採用されているが宮崎県の道路橋では米良大橋(竣工年:1962、橋長:159m)が唯一建設されているだけである。吊構造であるが、塔と桁を斜めのケーブルで吊った斜張橋などもある。宮崎県では吊床版橋が全国的に有名である。

 糸の中央におもりを下げると大きくたわむが、糸の両端を図-3のように引張れば、糸のたわみは小さくなる。吊床版橋はこの原理を応用したもので、糸の代わりに平行に並べられた数本のケーブルを両岸で引張り、この上に路面を設置したものである。

3.著名な宮崎県の橋

 宮崎県の橋は竣工(完成)時には国内でもその橋の形態では最大級であったり、あまり一般には知られていないが、施工方法が最初あるいは初期のものなど、橋の歴史を語るうえでは貴重な橋が多数ある。この章では、まず最大級の橋を、次いで施工面で貴重な橋を、最後にその他の優れた橋を一部ではあるが、紹介する。

 以後の橋名のあとの( )に竣工年と長さを示しているが、ここで、橋長とは橋の全長を、支間長とは主となる形態の部分の長さを示している。例えば、アーチ橋ではアーチの部分の両端距離である。

1) 最大級の橋

 まず、あまり知られていない吊床版橋を採り上げる。吊床版橋は公園やゴルフ場などに歩道橋として多く架けられている。宮崎県には全国でも唯一の道路橋(車も通れる橋)の速日峰橋(竣工年:1977、支間長:54m)がある。この橋は吊床版橋としては初期のものでありながら、工夫を凝らして道路橋まで拡張されたものであり、土木学会の名誉ある田中賞を受賞している。また、うさぎ橋(竣工年:1992、支間長:115m)は歩道橋であるが、竣工当時は我国最長の吊床版橋であった。

 アーチ橋は延岡から高千穂の国道218号を含む西臼杵地区に多数みられ、著名な橋が多い。雲海橋(竣工年:1973、支間長:160m)は施工例の少ない非対称アーチ橋で知事賞や全日本建設技術協会賞を受賞しており、青雲橋(竣工年:1985、支間長220m)は橋面から水面までの高さが国内1位の137mで、道路アーチ橋としては東洋一の高さを誇っている。

 国道10号線に架かる日向大橋(竣工年:1954年、支間長:67m)は我国では初のローゼ橋(アーチの一種)であり、宮崎県で最初の建設省直轄事業でもあった。

 最近も槙峰大橋(竣工年:1991、支間長:180m)干支大橋(竣工年:1994、支間長275m)などの長大アーチ橋が建設されて、最近も槙峰大橋(竣工年:1991、支間長:180m)干支大橋(竣工年:1994、支間長275m)などの長大アーチ橋が建設されている。 干支大橋は県事業としては始めての田中賞を受賞。これらは全て鋼アーチ橋である。

 コンクリートアーチ橋では、青葉大橋(竣工年:1996、支間長:180m)が国内3位の長大さを誇るものとして挙げられる。

 トラス橋では、小丸大橋(竣工年:1948、橋長:323m)が直弦鋼トラス構造としては世界で2番目の橋であり、資材の乏しい終戦直後を語る貴重な橋といえよう。鉄材の大部分は新田原旧陸軍飛行場の格納庫を流用しており、部材の1部に弾痕が観られる。

 橋の橋長が長い場合、中間部に垂直な柱状橋脚を設置して橋の補強を図るが、田野蒼雲橋(竣工年:1993、橋長:310m)は、図-6のようなV橋脚を用いている。V橋脚は2本の橋脚の固定部を1箇所に集められる利点を有している。田野蒼雲橋はV橋脚を有する橋としては我国では最大級の橋である。

2) 架設工法

 宮崎県の橋には橋を造る工法でも、施工当時では斬新なものを採用している橋が多くある。橋を施工する場合、道路部である桁(梁)やアーチ部をどのように安全に張り出してのかが問題となる。

 長大コンクリート橋の架設では梁を徐々に張り出す、いわゆる張出工法が多く採用されているが、その1つに西ドイツが開発したディビダーグ工法と呼ばれるものがある。 越野尾橋(竣工年:1962、支間長:110m)は、日本で始めて100mを越えたプレストレストコンクリート橋で、ディビダーク工法を採用した初期の橋として有名である。

 美々津大橋(竣工年:1967、支間長:63m)は同様な張出法であるが、川の中に設けられた橋脚から「やじろべえ」の原理を応用して両側へ順次梁を張り出していく工法を始めて採用した橋である。

張出し過程でより安定性を保つために、図-7のように、ケーブルを使用する工法もある。尾鈴橋(竣工年:1950、アーチ橋、支間長:110m)では、ケーブル架設工法を採用した最初の橋であり、前出の青雲橋は国内での本格的な橋では初めてと言われる「タイバック工法」が採用されている。また、前出の青葉大橋も施工過程で軽量化を図る最近のメラン工法を採用している。

3) その他の観たい橋

  前述した橋は橋工学的に語られるものであるが、宮崎県には観たい橋はまだ多数建設されている。紙面の都合上、すべてをご紹介できていないことをご了承願いたい。

 波瀬大橋(竣工年:1979、橋種:連続トラス橋、支間長:150m)は県内でも有数の長大トラス橋で、龍天橋(竣工年:1990、鋼ローゼ橋、支間長:220m)は水面からおよそ100mの高さにある長大アーチ橋で、林道橋としては日本一の高さとなる。

 綾の照葉大吊橋(竣工年:1983、鋼吊橋、支間長:250m)は渓谷からの高さが142mにもなる世界一高い橋であり、すきむらんど大つり橋(竣工年:1988、鋼斜張橋、支間長:155m)は歩道橋としての斜張橋では日本一を誇っている。

4.あとがき

 宮崎県に終戦後から平成までの建設された橋を紹介したが、ここに示すように、宮崎県にはスケール的にも、技術的にも誇れる橋が多数ある。これらの橋を観る機会があるときに、ここで述べたことが参考になれば幸いです。参考にした本・文献は多数ありますが、一般の方が楽しめるとして「九州橋紀行(発行:西日本新聞社、1800円)」を紹介しておきます。

橋の日実行委員
宮崎大学工学部 教授 今井 富士夫