橋への想い・思い出集
2001年版
全国より5747通の応募があり、橋の思い出、感じていること等、想いがいっぱい詰まっています。
その一部をご紹介します。
これは、宮崎県五ヶ瀬町鞍岡(日本最南端スキー場のあるところ)に住んでおられた方から聞いたお話なのですが、数十年前までは、ここ鞍岡は豪雪地帯だったそうです。昭和39年だったでしょうか?かなりの雪が降って、道路に雪が積もり、物資を運ぶことができなくなり、自衛隊のヘリコプターで、救援物資を運んだそうです。原因は、当時あった橋がくぼんだところにあり、道路がアイスバーン状態になって上ることができなかったからだそうです。その後、くぼ地よりも数メートル高いところに新しく橋ができたため、道路に雪が積もっても、物資を運ぶことはできたそうです。このとき、橋のありがたさを痛感されたそうです。
(宮崎県 吉弘さん 男性)
台風の季節になると、家の近くの川はいつも水かさが増し、橋も水で通れなくなってしまうため、そうなる前に避難するようにしていました。しかしある時、父が出張でいなく、残った家族4人は台風の中、いつもの様に避難する事ができず、家でじっとしていました。すると、70歳のおじいちゃんが、車でわざわざ私達を迎えに来てくれたのです。
避難する途中、橋は水であふれ普通の車で通るのは、かなり勇気がいりました。でもおじいちゃんは、そんなの平気で橋を水しぶきをたてながら車を運転して渡って行きました。私はおじいちゃんをすごい人だと、子供心に思いました。去年の春、おじいちゃんはなくなりましたが、あの橋を通る度に、おじいちゃんのあの時のかっこいい姿を思い出します。
(静岡県 高橋様 女性)
昔添乗員していたころ、錦帯橋に行った事があります。お客さんがなかなか集まらなくて、橋を何往復もしました。見るより傾斜がかなりきつく、ヒ-ルをはいていた私にはたまりませんでした。でも、橋の下で優雅に泳いでいたコイは疲れを癒してくれました。あ-あ、なんだか懐かしいです。もう一度行ってみたいな。今度はゆっくりと・・・
(愛知県 河野さん 女性)
1999年の年末から年始にかけてY2Kを避けるため夫と私の80歳になる母と米国に旅行しました。ゴールデンゲートに張られた赤いワイヤー(細いワイヤーを束ねた直径80センチの太さ)を橋の小さな多数の人間が海峡を渡したのかと思うと驚きと感動でいっぱいになりました。もう2度と訪れる事はないだろう言いながら歓声をあげる母に大きなプレゼントをしたと自己満足しています。
(東京都 西川さん 女性)
橋と言ったら日本橋・面影橋・数寄屋橋色々思い出しますが、最近別荘に向かう途中にある猿ケ橋にある橋がなんとな~くステキに感じて来ました。関越の月夜のインター猿ケ橋からに入る頃、上のほうに見えてくる山と山をつなぐ真っ赤な橋! まぁそコマでは良いとして夜にその下を走ると、とっても素敵な事に頭上の橋がライトアップされてその地域の風景には不釣り合いながらもどこかしんみりと神妙な面持ちにさせてくれる風景です!!
(東京都 稲垣さん 女性)
子供の頃、「万葉集」にもでてくる和歌の浦の不老橋の袂で、よく魚すくいをした。
(和歌山県 木下さん 男性)
私の家から車で20分位のところには、「流れ橋」という木津川に架かる橋があります。 ここは、近代的な橋ではなく、昔ながらの木で作られた橋のため、時代劇の撮影などに使われていて、最近ではNHK朝ドラ「オードリー」にも登場しました。
休日などは、近くから木津川沿いでバーベキューを楽しむ人たちでにぎわうところで、私も気分転換にバイクでたまに訪れたりしています
ただ、残念な点は、名前の通り、良く流されてしまうこと。
・・・ほんと、よく修理されていて、普段は自転車・バイクが通れる道なんですが、通れなくなることもしばしば。
「昔ながらの良さ」=「不便」。昔の人って大変だったんだなぁとおもわせてくれる橋です。
(京都府 吉田さん 女性)
現存するヨーロッツパ最古の橋といわれる、彫刻で装飾された古色蒼然としたプラハのカレル橋で、夕暮れ時、橋のたもとで演奏するバイオリニストの奏でる哀愁のメロデーを聴いていた。
漂う夜霧と幽気の中から、中世の衣装を纏った美女が川霧の中から現れ、幻影かと目を疑つたが、橋で中世の音楽を演奏していた女性ハープシストだった。
カレル橋には、芸術家の卵が演奏するのに適した、橋より突き出たスペースが、中世より設けられていたのに感銘を覚えた。
(東京都 青木さん 男性)
小さい頃は、橋を渡って近くの神社に夏祭りや初詣に出かけていました。 お母さんとの市場での買い物や、商店街のおもちゃやさん、自転車屋さんにもそういえばその川の上にかかる石橋を渡っていってたんだなーと思います。
市場やおもちゃやさんは、時代の流れでなくなってしまったけれど、橋はいつもと変わらずにそこにあって、20年たった頃には通勤で毎日渡っていました。
今は離れた場所に住んでしまって、めったに渡らなくなったけれど、変わらずにそこにあるので安心します。
(奈良県 柴田さん 女性)
東海大橋を見ると、「あ~~、もうすぐお千保稲荷だ!!」と、目安にしています。
昔から、この東海大橋は赤いんですよ。
(愛知県 三ツ井さん 女性)
小さい時に親に「橋の下で拾われた」ってゆわれて泣いた(笑)
(静岡県 岡本さん 女性)
母の実家である高知に家族旅行したときに、東京から10時間以上もかけて車で行ったことがありました。正月休みで、大晦日に出発。当時開通して間もない瀬戸大橋を渡るのも、家族の楽しみな目的でした。夜中ずっと走らせて、ようやく橋まで来た時、ちょうど日の出の時間に・・・。そうです。初日の出を瀬戸大橋の上で拝むことになったのです。橋の向こうの雲間から後光が差し、それはそれは見事な景観で、家族みんなで息をのんで見守ったのを憶えています。今でも写真を見るたびに、感激を思い出します。
(千葉県 香野さん 女性)
以前、熊本に住んでいました。子供のころは」「熊川くだり」をする船の人たちに、橋の上から手を振って、みんなが手を振り返してくれるのがうれしかった。兄弟4人で毎日のように通っていた、思い出の遊び場です。
(大阪府 関さん 女性)
私は高所恐怖症で高い橋(例えば日光霧降の橋)や、吊り橋が渡れない。家族で渡ろうとしても夫と息子はずんずん先に行ってしまうのでなんとか追いつこうとするが、足がすくんでしゃがみ込んでしまうのだ。他人が見たら「バカじゃないの」と思うだろうが、本当に冷や汗が出てくるほど怖いのである。息子は今のところまったくその傾向はないようなのでほっとしている。人生の楽しみの何パーセントかを失ってしまうような気がするからだ。
(神奈川県 片桐さん 女性)
わたしが、いろいろ悩みをかかえて、落ち込んでいたとき、妹がその太白大橋の下の河原へ連れて行ってくれました。とても澄んだ川で、小魚が泳いでいるのが見えるほどでした。それを捕まえて遊んでいるうちに、童心に返った気持ちになり、憂鬱だった気分も、気づいたら、いやなことも忘れ、すっかり上機嫌で帰ってきました。太白大橋を渡る度に、その下を流れる川を眺め、その時のことを思い出して、今でもふと心が和んできます。妹の何気ない心配りに感謝です。
(宮城県 佐々木さん 女性)
子供のころたしか小学年生の時に、工作で自分の好きな橋を作りなさいという授業があったのですが、ダンボールやカッターナイフなどを駆使し橋を作るのですが、その工作でなんとサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジのような橋を作ってすごく先生に誉められいい成績を残せたことがありました。その橋を先生はどこかの芸術家?かなんかの人に見せてすごくいい評価だったと言ってくれたことが印象に残っています。
(大阪府 新美さん 男性)
昔旅行したときに、人懐っこい猫がすっと後をついてきてどんなに『おかえり!!』って追っ払っても後ろにくっついてくるのです。でも私たちが橋を渡り始めたらそこから動きませんでした。
親に『橋を渡ったら帰れないっていうもんねえ。』といわれびっくりしたことを覚えています。
あんなに小さくてもちゃんと本能ってあるんだっておもいました。
その猫は私たちが見えなくなるまでじっと見送っていました。
(愛知県 清水さん 女性)
その昔、京都の三条大橋の上で「ごめん、好きな人いるんだ」といわれてしまった・・・ これが初恋ならぬ初失恋でした。ぐすぐす。
(東京都 高橋さん 女性)
小学生の頃、目をつぶってどこまでちゃんと歩けるか一人実験していたら見事橋から落ちました。 小さな橋でしたけど…バカですね…
(京都府 岩田さん 女性)
初めてのデートで、なんとなく散歩していたら、たどり着いた港。そこからレインボーブリッジが見えました。それから、3年後、また同じ場所に行き、一緒にレインボーブリッジ見ながら将来を語り合いました。そして、結婚。今度は、親子3人で行くつもりです。
我々にとって、あのレインボーブリッジは想い出の橋です。
(千葉県 五反田さん 女性)
小学生の時友達と別れるとき、バイバイと手を振りながら脇見をしていたら、古い木の橋で、川に落ちて腕を骨折したことを思い出します。 友達は、突然私が消えたのでびっくりしたそうです。
(広島県 岡本さん 女性)
中学生の頃、近くを流れる神田川の橋にもたれて、学校帰りに友達とおしゃべりしていたことがいい思い出です。飽きもせず恋のこと、将来のことなどを語り合いました。
(東京都 秦さん 女性)
15年前、主人が自分の学生時代の思いでの喫茶店へはじめて私を連れて行ってくれたときに喫茶店は目の前だったにも関わらず、学生の時にはあの橋を渡っていつも通っていたので、あの橋を渡らなきゃだめだといって、随分遠回りさせられたのですが、きっと主人にとっては、その橋もいっしょに良いおもいでの一つだったのでしょう。
(埼玉県 大野さん 女性)
印象に残ってる橋は「横浜ベイブリッヂ」は思い出深い橋です。以前、横浜に住んでました。埼玉に引っ越すことに決まり、何年か住んだ横浜の景色を心の中にしっかりとやきつけておこうと、ドライブすることに。
ドライブコースの中に「ベイブリッヂ」がありました。
浜田省吾さんの「ベイブリッヂセレナーデ」をCDで聴きながら
長い時間橋を眺めていたことを、忘れません。
(埼玉県 大島さん 女性)
10代の頃、京都に住んでいて嵐山の渡月橋をカップルで右、左に分かれて渡ると別れると言う噂があったので試してみたら、偶然かもしれないが2ヶ月後に別れた。
(千葉県 本山さん 女性)
小学生の頃、石橋(めがね橋)を渡って通学していました。今でもその橋を見ると、その頃の事(橋の上からつりをしたりしていました。)を思い出します。
(熊本県 中村さん 男性)
心斎橋では女なら誰でもナンパされる、と聞いていたが、そんなことはなかった。
(埼玉県 小玉さん 女性)
数年前、オーストラリアのシドニーでニューイヤーを迎えたのですが、12月31日の夜からバーバーブリッジで花火がハデに打ち上げられていました。新年の瞬間も花火連発!知らない人達と“Happy
New Year!”と騒ぎまくり、楽しかったです。(よっぱらいも多かったので怖い部分もあったけど)
(京都府 梅津さん 女性)
福岡県北九州市の門司港レトロ地区にあるハネ橋ををカップルで渡ると別れるというジンクスがあります。
一昨年まだ恋人だった主人とふたりで渡ったのですが、去年めでたく
結婚しました。
(福岡県 太田さん 女性)
私の実家は岐阜なのですが、長良川にいくつも橋が架かっていて、高校に通うとき、台風の次の日には、いつも水があふれんばかりに増水しており、輪中の伝統も近い地域にあるので、恐怖を感じました。また、朝靄の中、橋を自転車で渡るとき、美しい長良川の後ろに金華山、岐阜城がそびえ立っている情景は今心の中で思い出してみても、まさに日本の美であると格言できます。
(横浜市 平野さん 女性)
仕事の事で落ち込んでいると友達にある橋に引っ張られ、その人はそこからの夕日が一番大好きな場所だと言って、私を励ましてくれた。そこから見た景色は、私が今まで見た中で最高にきれいなものでした。その事を思い出すと、その時の友人の優しさとキラキラと光っていた茶橙の空に、未だに感動を覚えます。橋の上には、何か特別な物が在るように思えてなりません。
(大分県 清家さん 女性)
北九州の若松と戸畑を結ぶ若戸大橋で、毎年夏に花火大会が行われてます。わたしは数年前、今の彼氏からそのデートにさそわれて、それがきっかけで交際が始まりました。わたしにとって縁結びの役割を果たしてくれた大切な橋です。
(福岡県 桧田さん 女性)
山形県の馬見ヶ崎大橋を見るといつも思い出します。学生時代に。現在の主人とであったのですが、けんか別れをしたことがありました。話もできなくてずっと辛かったのですが、ある日この橋を渡っていると、向こう側から主人がやってきました。びっくりしてどきどきしましたが、その時1年ぶりくらいで主人の方から「おはよう」と挨拶してくれたんです。本当に涙が出るほど嬉しかったのを覚えています。あの時のことがきっかけで、仲直りして結婚することになりました。二人にとって思いでの橋です。いつまでも残っていろいろな人にたくさんの思い出をあげてほしいなと思います。
(仙台市 海老澤さん 女性)
下関から,北九州へわたる為に,毎日,海峡大橋をわたっています.この橋の下で,源平合戦など,多くの悲しい出来事がありましたが,いつもいつも,この橋を通る度に,亡くなられた多くの犠牲者の方々に,心を運ばせていただいています.
(山口県 斎藤さん 女性)
職場へ行く途中の旭橋からは岩手山が大変綺麗に見えます。
観光関係の仕事をしていたもので、その付近で写真を撮っていらっしゃる観光客の方も時折おられました。
私も、ふとそこから岩手山を見てこれからも頑張るぞ、といった気力を貰っていたものです。
(岩手県 小国さん 女性)
私個人では、思い出はあまりないのですが、橋には、出会いと別れを感じます。「君の名は」などは橋があればこそ、あれだけのヒット作になったのではないでしょうか。
(千葉県 三橋さん 女性)
50年前のことですが、私の家のすぐそばの釧路川にかかっている久寿里(くすり)橋を祖母と渡っているときに大地震(十勝沖地震)が発生し、ゆれる橋の上で恐怖にふるえたことをいまでも鮮明におぼえています。当時は、古い木橋で、今にもくずれ落ちてしまうのではないかと思うほどのゆれ方で,はいつくばりながら袂まで戻ったのですが、地面は大きく割れて、その橋は結局崩れてしまい、新しくなるまでの間、渡し舟で往来したものです。
(北海道 小林さん 女性)
学生の頃、学校の近くの江戸川に掛かった、高台の長い橋を毎日部活でジョギングしていました。本当に気持ち良かった。ジョギングも部活もキツカッタけど、その橋から見える川や土手、空の色景色が私を勇気つけてくれました。今では走ることは無いけれど、その日々変わる橋からのパノラマとその思いは素晴らしい思いでです。
(千葉県 小林さん 女性)
若い頃、フランスに留学中訪れた橋ですが、”これがあの歌にも詠われた橋なのだ”と何故か友達と(輪になって!?)踊ってみたりして感動したものです。
(東京都 一期崎さん 男性)
幼いころ橋の上から下の川を見るのが大好きでした。なんだかいつもとは別の世界があるようで!魚の稚魚がきらきらと光る水の中で集まって泳いでいたのを今でも思い出します。
(群馬県 熊谷さん 女性)
東海豪雨後、橋の上から私の通っていた自動車教習所を見たら沈んでいました・・・。 この橋を渡って毎日自転車で高校に通っていました。
(愛知県 藤田さん 女性)
昔、田圃の中をゆっくり流れる川に 石の橋が架かっていた。橋は四角い 長い柱状を二本並べ土手の上に載せただけのものである。水面から30CMほどしか離れていない。200mほど川上に車が通る立派な橋がある。水面から1Mもはなれている。子供の頃 この橋から飛び込んで河童の川流れよろしく 川下の橋まで泳ぐのが 楽しみであった。橋の上の誰かに助け上げられ 甲羅を干しながらまた川上へ歩いてゆくのである。あの頃は溺れて命を落とす子供はなかったと思う。今は両岸がコンクリートになり 橋も立派で高くなり 遊ぶ子供もない。川も汚く 泳ぐには無理がある。
子供同士助け合ったり 教えあうこともなくなったのであろう。
(兵庫県 上村さん 男性)
彼氏と、待ち合わせをする時は近所のおお橋というところで待ち合わせをしています。私はよく遅刻をするのですが その度、彼氏に冗談で突き落とすぞ!と言われます。
小さな橋だけど、8年間ずっと私たちを見守ってくれてます。
(兵庫県 中野さん 女性)
初めて宮崎へ行ったときにえびののループ橋を通りました。私にとっては、とても長く、またあのように渦を巻くような道にとても感動しました。もっとゆっくり景色を眺めながらわたりたいと思いました。
(福岡県 財部さん 女性)
付き合っていた彼氏と別れた時、もらった指輪を橋の上から川に投げました…そこを通る旅に指輪の事を考えてしまいます。
(神奈川県 佐野さん 女性)
以前バスガイドをしていたので、かなりの数の橋を見たと思います。よくこんなところに架けたなーと関心することもよくありました。昔の人は本当にすごい!なんの機械も使わずにいろんなところを繋いできたのですから!
(神奈川県 山口さん 女性)
小さい時悪い事をすると、(おまえは、橋の下で拾ってきたから今から橋の下に返しに行こう)と言われたので橋のイメージはあまりよくないけど苗字に橋の字があるので
きれいに書こうと良く練習したのを覚えています。橋から下の流れている水を見るのが好きです。
(京都府 西出さん 男性)
東京へ遊びに行った時に、水上バスで「橋めぐり」をしました。個性のある橋ばかりで見ていて飽きず楽しめました。
(沖縄県 桃原さん 女性)
母親の実家のある村にかかっている橋(北上川にかかっています) 毎年川崎花火大会をその橋をメインにして開催されています。子供の頃に見たナイアガラの滝(花火)がすごく印象的でした。又、今は亡きいとこが最後の外泊(退院?)の時に親戚一同で花火大会に行った事が今でも忘れられません。小学校にあがったばかりだったいとこの長男は今年成人になりました。でもこの橋はもうそろそろかけかえで姿を消すらしいです。新しい橋はすぐ脇に建設中です。少し寂しいです。
(仙台市 新沼さん 女性)
私の生まれ故郷はは岐阜県岐阜市で、長良川のすぐ側で育ちました。だから、夕暮れ時の夕日と長良川と忠節橋と金華山は日本のどこの風景よりも一番の絶景で、忘れる事はありません。
(愛知県 吉田さん 女性)