「橋の日」座談会集
宮崎橋の日では、過去6年間に亘り実施してきた「橋の日座談会(出席者延べ62名)」を振り返りながら、ご出席の皆さんから頂いた橋にまつわる色々な逸話、ご意見、夢等、心に残るものをご紹介します。
皆さんそれぞれに橋には深い思いがあって、先人が残してくれた橋と、この恩恵による生活文化の発展など、古里の歴史に息づく橋の魅力に話は尽きることを知らない程でした。すべての方々のご意見を掲載出来ませんでしたがお許し下さい。
相談役 青井 正彰
☆参加者の役職は、座談会開催日の役職名を掲載させていただいております。
~橋への感性~
- 古里の橋には、それぞれの時代を生き抜いてきた人々の思いと、古里の温もりを感じる。 (出席者全員の意見)
- 橋は人々の安らぎの場でもある、四季それぞれに趣を変える橋・・・朝靄に浮かぶ橋、夕日に映える橋、河川敷に寝ころんで、夕焼けで向こう側の橋を見るとシルエットがきれいで、世の中の喧噪(けんそう)を離れて一日中でも佇める場でもある。 (原田解氏 民謡研究家)
- 五代目の橘橋には、橋の途中に水を飲むポケットパーク(休憩所)があり魚を釣る人、キラキラ輝く水面を眺める人等、ここが水や川に対する関心を深め、愛着を深める場ともなっていた。(金丸トミ氏 金丸本店)
- 「橋の日」と言う名前は、文学的にも非常にいいですね。(山下順氏 俳人)
- 西ドイツでは、自然と美観との調和の取れた、デザインで橋を造っている。 (藤本 廣氏 宮崎大学工学部教授)
~橋は文化の拠点~
- 橋は渡るだけのものでなく、橋のたもとに空間が欲しい、公園化された野外音楽堂とか野外劇 場的なもの、橋のあるところはだいたい景色のよいところ、橋を背景に文化事業を発展できる様な空間、そういう発想が欲しい。(南邦和氏 詩人)
※この事について付言すると、東京の「お江戸日本橋」が、80年の化粧直しの際(平成3年)・・景観整備として4カ所の橋詰めに広場が新設された。橋詰めの地盤を掘り下げて広い大理石のテラスにし、側面からも橋が眺められるようになり、又水を滝のように流す壁泉を造り、樹木を配置して、夜間はライトアップされて、演奏会や観光客のための人力車による橋巡りなどのイベントも行われている。まさに橋が文化発展の為に蘇ったといえる。
~橋も観光の大きな要素~
- 「美しい街には、美しい橋がある」街のロケーションとして橋は大事な役割を負っている、・・・ヨーロッパでは直線橋を探すのは至難の技だ、これは橋が景観の一部として造られる為で、経済性だけを重視するだけでなく、そこまで考えての橋造りの配慮がされている。(佐々木勝朗氏 県都市計画課ほか)松形知事のお話のなかで、ヨーロッパでは観光船から、橋を下から見ることが出来るそうで、橋には下側にまで彫刻が施され芸術的な違った橋の美しさに心をうたれるとか。
- 橘橋もその様な橋に!!の願望もある。大淀川のように都市の中心に水を一杯湛え悠々と流れる大きな川を持つ都市はない、宮崎にもこういった芸術的橋が有れば又違った観光の目玉になるのでは。(司会)
~橋物語~
- 昔は、「賃取り橋」というのがあった、今の有料橋、橘橋も初代の橋はそうです、最初に橘橋を造ったのは福島邦成翁(橋の日実行委員会の福島順一氏は翁の曾孫に当たる)ですが、号を“退庵”と言った。「退庵は大きなハシ(橋)で飯を食い」という川柳があるように橋を渡る場合には料金を取られた、今の宮崎の中心部と大淀とを行き交った人々はきっと渡り賃を取られたのでしょう。(渡辺綱纜氏 宮交シティ社長)
※福島順一さんの話によると、その時の橋の収支は
・賃料 3,300円
・橋建設代 4,200円
差 引 △ 900円
差し引き900円の赤字で当時としては大金である。ちなみに渡し賃はというと
・1人 4厘
・牛馬 1銭2厘 であったとか。
県内には延岡の2厘橋などの賃取り橋があった。 - 全国で一番古い橋は大阪の「猪甘津橋」・・・西暦324年に架けられている。大阪は水の都で八百八橋といろんな橋があって、橋の上からいろいろな角度で大阪城が見え歴史を感じさせる。(南邦和氏 詩人)
- 高千穂町には「槍飛び橋」という橋が高千穂峡の一番狭い所に架かっている、昔、西南戦争で延岡方面で破れて敗走する薩摩の軍が、槍を棒代わりに川を飛び越えたところからこの名前が付けられたとか。(司会)
~人に優しい文化芸術橋~
- セーヌ川に架かる「ミラボー橋」の意匠の美しさ、川の流れに傲然と対峙する女神達の像の意 匠は、鮮烈な印象をうける、と随筆家の奈良迫ミチさんは書いているが、宮崎にも美と安全を兼ね備えた、キャッチコピーで言えば「人に優しい橋」通る観念から渡る観念になる橋が欲しい!!外国に行くと、橋がまるで彫刻品、車窓から見るだけで楽しい(渡辺綱纜氏 宮交シティ社長、川口道子氏 鉱脈社専務取締役)
- 日本でも最近各地で段々この面の努力がなされている。(藤本廣氏 宮崎大学工学部教授)
- 宝塚の橋上公園、北海道の釧路市の幣舞橋にも見事な彫刻がある、これも市民の皆さんの力で完成させたとも聞いており、これに参加したのが全国の著名な彫刻家であったということで、本当に羨ましい限りである。(森本雍子)
- 宮崎にも文化的に優れた橋はある。「男はつらいよ」の映画で有名になった日南市の堀川運河に架かる堀川橋は、詩人野口雨情が昭和10年油津を訪れた時「水と筏(いかだ)を堀川橋の石の手すりは見て暮らす」と詠んでおり、文化的にも歴史的にも宮崎県が誇れる橋と思う(湯浅利彦氏 橋の日提唱者)
- 日之影町の青雲橋の横に架かる「音楽を奏でる橋」も面白い、欄干下に音符が組み込まれており、手をふれながら歩くと「ふるさとの歌」が奏でられる。(湯浅利彦氏 橋の日提唱者)
この様な橋は県内至る所に残されている。高千穂町の神橋、日向市のめがね橋、小林市の三の宮橋、えびの市のめがね橋、また日之影町には熊本の通潤橋を造った石工によるめがね石橋もある。
~橋は心の架け橋~
- 橘橋は大淀と宮崎の中心部を繋いでいるんだから、大淀の人と宮崎の人で橋の上で、綱引きをやるとか、苗木の交換をやるとか橋の上でイベントをやったらどうか、それが本当の心の架け橋ではないか。(民謡研究家 原田解氏)
- アメリカ(サンフランシスコ)の金門橋でも橋の上で大イベントをおこなっている。(産業経営大学 ロバートアダムス氏)
- 橋は人の出会いの場でもある、小説「マディソン郡の橋」は有名だが、橋はロマンチックでお洒落なところでもある。 (古嶋さゆり氏 建築パース設計)
- 橋というのは機能とか造形性だけでなく「古里への架け橋」と言う精神的な意味も大きい、宮崎から他の都市に移って、橘橋を心の古里として便りで表現している生徒も居り、情緒教育の中でも大切なことである。(高山華弥氏 生目台東小学校の先生)
- 鹿児島市の甲突川に架かる五橋の撤去について幾多の難関があったとか、新聞等で拝見したが、それだけ市民があの石橋に対する深い愛着を抱いていた事が解る。(司会)
~橋にかける(架ける)夢~
- 「夢ひらく宮崎市」という題材で学年の枠を外して、子供さんに思い思いの絵を描かせると、面白いことに、道路と橋に一番夢をかけていたとのこと、遊ぶ橋を造れないか、橋の真ん中当たりに親水公園を造りそこに降りてゆけないか等大人では考えられない様な発想があるとか。 (松本睦子さん 生目台東小学校校長)
- 大淀川に二段橋があって、二段橋の上には、モノレールが走り窓からキラキラ光る美しい大淀川を眺めたり、美しい宮崎の街を眺めながら通れたらすばらしい。 (土屋久美子さん 生目台東小学校生徒)
- この「橋の日の運動」は宮崎市で昭和61年に始まり、各界の皆様のご理解と、ご協力により、この間、川、橋、そして人をテーマに「橋の日の歌」ができ、又、「シンボルマーク」もできて、段々と地域に根付き、認知されるようになってきました。橋は川と共に生きる私達にとって日常生活上なくてはならないものです。毎年8月4日を橋の日として、橋に対する感謝をこめた行事を実施しておりますが、行く行くは「橋の日」を宮崎県から全国にアピールしてゆきたいと考えております。
最後に最近「奥の細道」が俄然話題となって来ましたので藤本廣先生から寄せられた芭蕉の橋を詠んだ句を紹介し、結びとします。
芭蕉の句
◎橋桁のしのぶは月のなごりかな
◎鶺鴒(せきれい)のあしもとかろし橋の霜。