第11回宮崎「橋の日」記念日イベント写真集
準備
●8月3日(日曜日)午前7時50分
橘橋の左右に橋の日の旗を45本立てた。橋に布のガムテープで3カ所づつ止めていきました。橋の上はやはり風が強いため、ポールの高さを短くした。立てた時は、壮観な感じがも橘橋は300メートルあるため、全体からみると本数が足りない(来年の課題)。
●8月4日(月曜日)午前7時25分
まつりのムードを盛り上げるため、七夕飾り(星の橋渡しをイメージして)をつくる。これは5年前から制作している。提灯の他短冊、風鈴(南部風鈴)をつけ川風に音がでるサウンド効果を狙っている。
●8月4日(月曜日)午前8時12分
市役所前会場(お祭り会場)、式典会場の準備完了。いよいよ、9時の開会を待つばかり。以前は、実行委員が少ない為、午前6時から開始しても設営終了が9時ぎりぎりでした。
式典
●8月4日(月曜日)午前9時01分
塩見の会長あいさつ。塩見さんは現在、宮崎県の商工会議所の会頭をされています。たくさんの要職をされておりますが、忙しい公務の中、橋の日には毎年参加されています。(私は壊れかけたスピーカのそばで汗を冷や汗をかきながら調整しておりました。トホホ)
●8月4日(月曜日)午前9時5分
式典のムードを盛り上げるため、橋への御礼献花は、宮崎花の女王にお願いしている。今年は、テレビのおしんの主人公に似た嶋田香奈子さん。4年前は、延岡の橋かけ又次郎で知られる橋かけ市長「仲田又次郎」さんのお孫さん(花の女王)で参加されました。縁とは不思議なものですね。
●8月4日(月曜日)午前9時7分
橋への献花は、6団体が行いました。市民代表。子供代表。橋メーカ代表。行政代表。ボランティア代表。地元橘通り商店街の代表。写真はボーイスカウトの子供達。毎年参加してくれています。
●8月4日(月曜日)午前9時15分
今年から参加者全員で記念撮影。最初は5名のメンバーも11年目にして300人に。定着してきました。右端の皆さんごめんなさい。
橋の日まつり
●8月4日(月曜日)午前9時35分
今年で2回目参加のひょっとこ若芽組の子供達、かわいい姿で大人顔前けの演技に会場から声援が飛ぶ。狐、おかめ、ひょっとこ達がつづく。最年少は3歳だとか。
●8月4日(月曜日)午前9時37分
宮崎女子高校の生徒にはバカ受けでした。ユーモラスなお面だけでもかわいいのに、腰をふりふりするので、またかわいい感じがしたのでしょう。
●8月4日(月曜日)午前9時40分
ひょっとこおどりは、宮崎県日向市が発祥とされている。日向市では毎年このひょっとこ祭りが開催されている。若芽組は、宮崎市のグループだが、中国公演など実績もある。この他にもたくさんのグループがある。
●8月4日(月曜日)午前9時45分
橘太鼓響座のステージ。毎年、迫力のステージを見せてくれる。今年で5年のおつきあい。デビュー当時から参加してくれています。
放流・清掃
●8月4日(月曜日)午前10時5分
宮崎内水面漁業協同組合の提供で、鯉の放流。 2万匹。バケツ200杯位なので、頑張って流さないと終わらない。キレイな川と橋はセットなのです。元気に育ってね。そして川を大切にしようね・・・。願いを込めて。
●8月4日(月曜日)午前10時16分
宮崎女子高校の生徒さん。毎年学校の行事として参加してくれています。岩の間も残らず清掃。たくさんのゴミが集まりました。今年は、飛び入り参加もあり、にぎやかでした。
●8月4日(月曜日)午前10時20分
今年はアドバルーンを大淀川の右岸左岸川に合計3本上げました。昨年は、風の影響で橋に接近するというハプニングがあり、今年はこの写真からは見えない位置にありますが、イベントを盛り上げてくれました。
お疲れさま~
●8月4日(月曜日)午前10時55分
暑かったね。今年は参加者記念品がビッグ。橋の日ロゴ入り、ペットボトルクーラーとタオル、ジュースを配らせていただきました。これらは協賛企業や行政からの援助によるものです。
●8月4日(月曜日)午前10時56分
たくさんのゴミが集まりました。お疲れさまでした。また、来年もよろしくお願いします。
●8月4日(月曜日)午前11時02分
実行委員数名とはいポーズ。このようなこともろうかと準備した旗がきらりと光りました。(自画自賛)テントも片づけ。一息つきました。後は、3時の橘橋につけた旗の回収と講演会だ。夕べ、講演会の恐い夢をみた。是非成功を。
記念講演会
●8月4日(月曜日)午後6時5分
橋の日講演会看板は、チラシのデザインを意識したもの。チラシは好評でした。
●8月4日(月曜日)午後6時15分
受け付けをするショーボンド建設の社員の皆さん。大城さん写真右側は、自称「橋の女王」。この日は、講師である田代先生花束贈呈をお願いした。田代さんも大城さんも、ニュヨークーシティマラソンに参加した経験を持ち、橋の話で盛り上がった。
●8月4日(月曜日)午後6時35分
講演会では、初代橘橋を架けた福島邦成の人物像(橋の日ページに掲載)宮崎平野の有志以来の歴史を地図や資料をふんだんに使って説明してくれました。一般市民を対象にした橋の講演会は、初めてで参加者の数が心配(夢にでた)が300名を越す入場者に安心しました。
●8月4日(月曜日)午後7時40分
謎の一つ。邦成は、当時の最高学府(昌平黌や適塾など)に学び蘭学、西洋医学・薬学を修め医師となり、7年後の24歳(1843年)の時に帰郷。その後、資材をつぎ込み宮崎の為に尽力。彼をかき立てたものは何。来年に福島邦成の本に期待したい。