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序文 石橋に憑かれた人、岡崎さん

宮崎大学名誉教授 藤本 廣

 岡崎文雄さんを私が知ったのは、今年、平成12年6月16日付の宮崎日日新聞の文化欄に、「県内の石橋 体系的調査 元県職員・岡崎さん」という記事を見たときからである。
そのとき初めて、私は岡崎さんと同郷(ただし、私は大分県玖珠町出身で、10年前に宮崎の現住所に転籍)ということを知ったのである。
 昭和57年に宮崎県職員を退職された岡崎さんは事務のお仕事をされていたとのことであったので、宮崎大学工学部で土木工学の教員をしていた私とは直接の係わりが全く無かったのである。

  ところで、私の専攻は橋梁工学ではなく、土木工学のなかの地盤工学・防災工学・道路工学・都市計画論などであるが、景観工学や土木史の領域にも手を広げ、古い石橋にも興味を持っていた関係と、同郷の誼みということにかこつけて、早速、新聞に記載されていた岡崎さんのご住所に、調査報告書『宮崎県の石造アーチ橋』の頒布方をお願いする手紙を送ったのである。
手紙を送って1週間目に、折り返し、岡崎さんからワープロ仕上げ・仮綴じの下記の調査報告書(4冊)が恵贈されて来た。

(1) 平成12年4月27日現在『宮崎県南部地域の石造アーチ橋』(宮崎郡・日南市・串間市・都城市・北諸県郡・小林市・えびの市)
(2) 平成12年5月12日現在『宮崎県北部地域(延岡市・日向市・東臼杵郡)の石造アーチ橋』
(3) 平成12年5月31日現在『宮崎県西臼杵郡の石造アーチ橋』(日之影町・高千穂町・五ヶ瀬町)
(4) 平成12年5月31日現在『宮崎県の石造アーチ橋』(その現況と特徴など)

 これらの調査報告書を一読して、私は大いに驚かされた。
それは、土木工学、ましてや橋梁工学の専門家でもない岡崎さんが、よくぞここまで調査されて纏められたものだ、という感嘆であった。
確かに、岡崎さんが言われておられるように、橋梁工学の専門家から見たら、個々の橋についての構造的な次元の説明不足はあるであろうが、殆ど県内全域の石造アーチ橋を網羅した調査報告書は、これまで全く例を見なかったものである。

 私自身、かって、宮崎日日新聞社が昭和58(1983)年に刊行した『宮崎県大百科事典』に、宮崎県の代表的な石造アーチ橋として、高千穂町の“久兵衛橋”と三股町の“梶山橋”の記事を執筆し、土木学会編『土木モニュメント見て歩き』-平成3(1991)年刊-に日南市油津の“堀川(乙姫)橋”を紹介したことがあるが、県内全域の石橋を対象にするなど思いも及ばなかったことである。
 今回出版されることになった、この『宮崎県の石造アーチ橋-その現状と特徴など-』は、岡崎さんが黙々として温めて来られた石橋に対する深い愛着と、宮崎県に存在する土木文化遺産の重要性とを、まさに世にアピールする快挙であると言っても過言ではあるまい。
 岡崎さんは、18年前に宮崎県を退職された後、ご郷里の大分市に帰られて、『伝えたいふるさとの石橋』-平成8年、高山總合工業(株)刊-や、『おおいたの石橋』-平成12年、大分の石橋を研究する会刊-など、大分県に存在する石橋を網羅された立派な本の出版に共著者として尽力されておられるが、その岡崎さんの長年に亙る石橋に関する真摯な調査姿勢には、土木史に興味を持つ土木工学者として、私は今更ながら敬服する他はない。
 この『宮崎県の石造アーチ橋-その現状と特徴など-』が、今後、宮崎県における近代化遺産の土木史的研究資料として活用されるばかりでなく、郷土の文化財愛護意識の昂揚に資する図書として県民の目に触れることを期待して、最後に駄句一句を付記し、序文寄稿の任を果たしたい。

“去年今年てこ橋厳としてありき” -廣-

(注)てこ橋=太鼓橋の訛り 平成12(2000)年12月吉日



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