あとがき(撮影を終えて)
こん載累(こんさいわざはい)なく、来往、殷阜(いんぷ)なり。
維れ石滅せず、頼(さいわ)いを斎(もたら)すこと悠久なり。(三重町虹澗橋碑文「虹澗橋記」より。文政9年<1826>初夏の日)-満載した荷物は楽々と運べるし人馬の往来は栄えて盛んである、誠に此の石橋は滅びることなく幸せをもたらしてくれる事は悠久永遠に続くことであろう(木許博氏訳、佐伯市郷土史家)。
読んで字のごとし、石橋とは人々の生活や経済の活性化に役立ち、1世紀以上も生き続け今日に至っている。しかし、人口の増加と地域の経済の発展にともない、次第にその役目を他のコンクリート橋や鋼(てつ)の橋にその地位を譲ってしまった。今では、里や村の人々の暮らしを支えつつ終りを迎えようとしている。そして、草に覆われ苔むして、ひっそりと里の風景や自然のふところ深く抱かれた姿を見る時、人は遠い昔活躍したであろう石橋に郷愁のような気持ちを持ち、ある時から突然こだわり続けるようになる。それは生きとし生きるものは全て虚空の彼方へといつの日か去って行く運命である事を知っているからだろう。
人々の暮らしやそれを見続けてきた石橋たちの事は、その石橋を作った人々か、もしくはその石橋に何かの思い出があるごく僅かな人の記憶の中にしか残らない。
思い出や感動、忘れ得ぬ出来事がなければ記憶の中には残らない。そうでなければ記録という言葉の中に埋没してしまうのである。人々が何かにこだわり、語り続けて後の世に伝えたいと願う思いは、一体何なのだろうか。
石橋の一つ一つの石組に吹きこまれた生命なのだろうか。それとも先賢の決断や英知なのであろうか。あるいは石工の技そのものであろうか。
これら全てが感動であり、忘れられない記憶なのである。そして記憶こそが永遠の生命なのだと考え、石橋にさまざまな角度から生命を吹き込み、甦らせようと懸命なのである。
こんな言い方はおかしいのかも知れないが、写真という記録する道具を通して、人と石橋の関わりを見続けていると、そこに心を動かされ冷静に記録しようとする心の中に、感動というもう一つの心が動き出すのである。
記録の中からこれに関係した人々の生き生きとした姿を発掘しようとする心があるからだろう。
幼い頃に歌った小学唱歌や童謡が心の中に長く歌い継がれていくのと同じように、草がおいしげり苔むした石橋たちが人々の暮らしと共に生き続ける美しい姿に心を動かされる時、そこに石橋が生命の輝きを放っているのを感じるのである。
この石橋たちが何時までも姿をとどめてほしいと願い、それが叶えられない事を知っているが故に、記録の中に、それに関わった人々の生命の息吹を入れ、まるで生きているような記憶として甦らせようと考えるのである。
石橋が見せる美しい姿、それは草や木の香りと豊かな山の緑、水の匂いと清らかな川の流れ、時々あたりの静けさの中で聴こえてくる小鳥のさえずり、今ではなかなか味わうことの出来ない大自然との見事な調和であろう。川辺に下り立ち、せせらぎの中に身を浸していると、頭の中から仕事の事、街中の忙しげな暮らしや車の騒音、これら全ての事が消え去り「今、生かされている!」という喜びに感謝している自分に出会う。そして心の中で永遠の生命を願っている自分に気付く。
また、ある時、ダムに水没している石橋を見て岡崎氏は「この水没している石橋を見ると自分の行く末を見るようだ。余命幾許も無い」とつぶやいていた。私がカメラをセットしている時にそう言って立ち去る後ろ姿にしばし呆然としたことがあった。その時の言葉が忘れられず、何とか岡崎氏の言葉を写真に表現出来ないものかと再三にわたって薬師寺氏と撮影に出掛けた。
ある秋の日、返照を微かにとどめてダムにポツンと浮かぶ石橋に出会うことができた。夕闇のせまる中に、ひときわ孤高の美しさを私たちに見せてくれた。この姿こそ岡崎氏の言う、「天地無情の世界」である。シャッターを切りながらアーチの向こうに満足そうに微笑む岡崎氏を見た。
また、ある石橋でお嫁さんに出会った時のことである。最近では珍しいことだが、昔ながらに近所への挨拶廻りをするお嫁さんのおかげで誠に貴重な写真を撮影させていただいた。嫁ぐ日の朝、きれいな花嫁姿のお嫁さんとお母さんの笑顔の語らいやいたわり合い、気配りを見せる二人の温かなまなざし、幸せに満ち溢れる輝く瞳、将来の家庭への希望を祈って近所の方々の心暖まる「幸せになってね」という言葉に頷いて答えるお嫁さんに、心から愛の讃歌を贈った。また、里の氏神様へ今日まで無事成長を見守ってくれたお礼と、嫁いでから幸多からん事、家族が健康で過ごせる事、そんな思いをこめて一心に祈る二人の姿に私も祈らずにはおれなかった。
菩提寺では前年亡くなられた最愛のお祖母ちゃんに「この晴れ姿を見てもらいたい、そして<きれいじゃなぁ>と言ってもらいたい」と墓前に手を合わせる姿に私は目頭が熱くなり、涙を禁じえなかった。
生きる事の尊さ、人生の喜びを感じ、幸せを願う気持ちでいっぱいとなった。 この一冊の記録が皆さまの目にとまり、石橋の鑑賞や研究のマニュアルとして、お役に立てれば幸甚に思う。また、記録の世界から飛び出して一つでも多くの石橋にじかに会っていただき、自ら永遠に残る感動という記憶の世界を造っていただけたら、心の中に今までとは違った人生が生まれるのではないだろうか。大分にはそんな素晴らしい石橋たちが500余りもある。
心の中に感動があれば、カメラのレンズが生きものの様に記録から記憶の世界へといざなってくれる。
私にとって石橋の写真は、その記憶のひとコマひとコマを残すことができる貴重な宝物なのである。 石橋との撮影を通じ、いろいろな方々に出会うことが出来、貴重な体験をさせていただいた。これから先の私の人生にとって大切な物をたくさん勉強させていただき、一生忘れることの出来ない記憶を造ることが出来た。皆様に心からお礼を申し上げる。
岡崎氏には、石橋についての歴史的な背景考察と案内図の作成に、薬師寺氏には、専門的な設計施工図の作成と解説に多大な労力をさいていただいた。
それぞれの立場で熱心に調査等をして、撮影時にはいつも草を刈ったり、ゴミを片付けたり等々ご苦労をおかけし、心からお礼を申し上げる。 カメラの事や写真撮影については、全般にわたり「日本写真作家協会正会員」である中谷都志朗氏にいろいろとご教授いただき深く感謝を申し上げる。 出版については、葦書房社長久本三多氏と編集部小野氏に心からお礼を申し上げる。
高山總合工業株式会社
60周年記念行事実行委員会
代表 高山淳吉