みんなで広げよう「橋の日」を 8月4日は「橋の日」記念日

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「橋の日」作文優秀賞紹介

こんな橋があったらいいな。

宮崎小学校 6年 K・Yさん

わたしは、こんな橋があったらいいなぁと思うことが5つあります。
まず1つめは、みんながゆかいになる橋です。例えば、きげんが悪いときに、その橋に乗ればゆかいな気持ちになれて、心も広く、やさしくなればいいなと思ってるからです。みんなやさしくなればいやな事なんて、ないなぁと思います。

2つめの橋は、水族館風に楽しめる橋です。水族館風に、ガラスのかべが張ってある橋だと、だれもポイ捨てはできないから、きれいな川を保てます。だから、みんながきれいな川を見ながら橋をわたると、とっても気持ちがよくなると思います。

3つめの橋は、行きたいところに行ける橋です。まず橋をわたる前に行き先を言って、その行きたかった場所に着いているというのです。それだったら、みんなが行きたかった場所で、ゆっくり過ごせるからです。

4つめの橋は、過去・未来橋です。その人が何年後の未来に行きたい!といえば行ける橋です。過去に失敗したことがあって、もう1度、それをやりたいとか、自分で何でもできるという夢のような橋です。

最後に5つめの橋として無事故の橋というのもあればぜったいにいいはずです。だって、事故でいっぱいの人が亡くなると、とっても悲しいからです。どんどん人が生まれて人がふえていった方が、ゆかいになるからです。無事故の橋というのは、あまりおそすぎないで、あまりスピードを出しすぎることができない整備になっている橋のことです。そしてその橋は、前の車と後ろの車とのかんかくがちょうどよくされている整備もついていれば無事故になると思います。

わたしは、こんな、いろいろな橋があったら、みんながもっと橋を好きになれて、橋を使う人が、もっと多くなるといいなぁと思います。そして、もしこんな夢のような橋があれば、私も、橋をつくる人になりたいです。もし、橋をつくる人になれば、その私がつくってほしい今までの中にでてきた5つの橋を、もっとアレンジしたり、また、別の橋をつくれたらいいなぁと思っています。
とっても簡単につくれて、とってもじょうぶな橋というのがあればいいと思います。もしそれなら、だれでも気軽につくれて、そして橋がいっぱいふえて、だれもがいろいろな橋を使えるからいいなぁと思います。

こんな橋が、いっぱいあれば、みんなももっと橋を大好きになれるのになぁ!

(2002年優秀賞)

たちばな橋

大淀小 4年 K・Sさん

わたしは、今、学校の総合の時間に「大淀のことをもっと知ろう」という題で大淀川や大淀の商店街や、学校の周りなどをクラスごとにわかれて調べています。
わたしは大淀川のたちばな橋について調べることにしました。理由は、たちばな橋は近くにあるのに、よく知らないからです。
たちばな橋を調べたい人は、ほかに、2人いたので3人でグループを作りました。

まず、グループで調べる内よう、方法を話し合いました。調べる内ようは、たちばな橋の歴史についてです。方法は、インターネットと実さいに見ることにしました。

インターネットで分かったことは、初代たちばな橋は、福島邦なりと言う人が作りました。福島邦なりさんのざいさんで作られたたちばな橋は、宮崎市にゆずられました。
橋ができるまでは、船を使って大淀橋をわたっていました。船だと重い荷物が運べないし、雨の日や風が強い日は、大へんだろうなと思います。今の橋は、何回か作り直されて、今の橋は7代目になっています。

実さいに見に行ってみると、いままで気づかなかったものを見つけました。
6代目の橋の親柱を見つけました。そこには、たちばな橋の由来が書いてあり、6代目の橋は、永久橋として昭和7年に完成したものだそうです。

橋のふもとから、たちばな橋をじっとみていると、とても美しくりっぱにみえます。そしてこの橋に、いろいろな歴史があるような気がして、わくわくしました。また、橋の上を通っている車が多いなぁとつくづくおもいました。ふだん、何も考えないで、この橋をわたっているけれどこの橋ができるまでに、いろいろな人々の力でつくられたんだなぁと思い、どきどきした気分になりました。
今度、総合のグループの人とゆっくり、たちばな橋のことについて話しながらわたりたいです。

(2002年優秀賞)

心の故郷宮崎の川と橋

鹿児島市立甲東中学校2年 中間 小織

「大淀川の水豊か……」
私は、つい1年4ヶ月前までは、この、宮崎に住んでおりました。
ですから「大淀川」と聞いただけでゾクゾクする程、なつかしさを覚えます。
宮崎市のまん中を、とうとうと流れる雄大で美しい大淀川。
その、大淀川にまたがる沢山の橋、橘橋に高松橋、宮崎大橋に大淀大橋、小戸橋、一ツ葉大橋・・・。
どの橋も、想い出のいっぱいつまったなつかしさがこみあげてくる橋ばかりです。

私は、宮崎市立小松台小学校に在学中、総合的活動で、大淀川について一生懸命いろいろ調査、研究し、友達とそれらをまとめて、「夢のある川」というテーマでいろいろな機会に、学習発表をしたことがありました。
大淀川の生物探索の結果、汚染の問題提起、私たち子どもの目から見た、河川敷きの夢のある利用法。
建設省の方が、「もし、あなたたちが作るとしたら、この大淀川と河川敷きをどのように設計しますか。思う存分、夢のある設計をしてみて下さい。」といわれて、小松台小6年の私達男女6人のグループは、一流の設計士にでもなった気分で、毎日放課後、数枚のパネルにとり組み、理想の夢のある川を製作し発表したこと。
そして、大淀川の生物を通して、命あるものの「生きる」ということを真剣に考え、学び作文に書き、宮崎県の文集に載せてもらったこともありました。わずか3年間という短い期間ではありましたが、宮崎で学んだ日々は、私にとって、川と橋を見つめる土台となりました。

今、父の仕事の都合で鹿児島に転校し、五大石橋で有名な、甲突川のほとりに住んでいます。朝夕、甲突川を眺め、五大石橋を渡る度に、私は、大淀川を想い浮かべ、橘橋を大淀大橋を想い出しています。
市の中心を流れ、多くの人達に親しまれている点では同じですが、宮崎の橋はどれも立派で大きくてすばらしい橋、というイメージをいだきますが、甲突川にかかる橋は、ほとんどが、今から140年も前、江戸時代に、人々が一個一個石を積み重ねて作ったという石の橋です。
敵が攻めてきたときのために、その、どれか一個の石をとると、橋全体が、バラバラにくずれる仕組みになっているとか聞きます。
140年の風雪に耐え、老朽化し、車がひっきりなしに通るのをみていると、痛々しい感じさえします。

今、鹿児島では、この、歴史ある橋をいかに保存すべきか、また、大雨の洪水と、車の洪水からどのようにして守ったらいいか、やっぱり移転しかないのだろうか、といろんな意見が出され、マスコミがとりあげています。
そして、甲突川の近くの小中学校・高校では、ゆとりの時間は、川の清掃をし、愛護会でも、朝早く、甲突川を眺めながらラジオ体操をしたあと、親子で川のそうじをします。
このように児童生徒はもちろん、住民の生活と一体化し、自分たちの川や橋は、自分たちの手で守っていこうという意識がとても強いような気がします。
宮崎から初めて8月4日の「橋の日」を提唱され、全国に運動の輪を広げようとなさっていらっしゃる湯浅さんに、心から賛同すると共に、私にお手伝い出来ることはないかと考え、今、住んでいる鹿児島で少しでも多くの人に、橋の日を訴えていきたいと思います。一人の小さな力では、何も出来ないかもしれませんが、こんなにすばらしい提案を弁論大会や、生徒会などでとりあげ、橋の日の輪をひろげてゆけたらと思っています。
そして、8月4日が、日本国中の人々に、改めて橋の有難さをもう一度見つめ直し、考えてみる日になればいいナーと祈っています。
こんなすばらしい川に抱かれ、こんなに美しい橋たちに囲まれた宮崎の皆様、何よりもすばらしい財産であることを再認識され、川を、橋を、大事にしていってほしいと思います。

私も、宮崎で体験し、学んだ多くのことをいつまでも忘れずに、努力していきたいです。
川にも流れがあるように、橋にも歴史の流れがある……そのことを肝に銘じて、
その、自然の恵みのすばらしい財産である川と橋を大事にしていくことが、次の時代を担う私たちの使命だと思います。
宮崎の川と橋…それは私の心の故郷です。

(1989年優秀賞)